@article{oai:sojo-u.repo.nii.ac.jp:00000918, author = {森山, 祐樹}, issue = {9}, journal = {崇城大学芸術学部研究紀要}, month = {}, note = {私はこれまで風景が“的”な絵を描いてきたと思う。過去の作品を見るとそう感じるのだが、自ら統一しようとしたわけではなかった。絵を描きたいと思うときは、何かを忘れないように記録したいと思うときであった。その記録したいものとは、私が過ごす生活そのものであったり、そのなかの一時の感情や思索であったりした。具現化しにくいものを記録するために、対象である感情や思索を並行して私の中にあった心象風景をそれらの象徴として描くことを選択した。それが街並や自然として画面に現れる。これが私の言う「風景画的な絵」である。制作をする中で、心象風景を忠実に描き出したいと思うと共に、一つの平面として見たときに美しいと感じられるものを作りたいと感じるようになった。その頃から本来の心象風景を画面の上では自身のバランス感覚において心地よいと感じられる形や配置、色、質感に変換し始めた。個々の物体から性質を抜き出し、形や色そのものだけの画面構成を繰り返すうちに、描く絵は抽象的な性格を持つようになる。対象を捉える上で最も適切である表現方法を試行する中で、それは具象表現と抽象表現の中間にあるのではないかと感じるようになった。一貫したテーマを持ちながらも一つの画面の中で具象表現と抽象表現の間を往復することで、求める表現に行き着くことができるのではないかと想定し、本作における研究のテーマとした。}, pages = {171--176}, title = {《可壊の塞》風景画における具象表現と抽象表現の境界についての模索}, year = {2016} }